「手作業による手延べ」そうめんと「機械による手延べ」そうめん

まず初めに誤解のないよう明確にしておきます。

私は機械そうめんも、手延べそうめんの機械化も否定や非難をする意図は一切ありません。むしろ機械化のおかげで「いつでも、どこでも、手ごろな価格で美味しいそうめんが食べられる」ことは大変有難いことと思っています。

この点を誤解なくご理解いただいた上で読み進めていただけますようお願いいたします。


各地のそうめん産地を訪問したり、調べていくうちに、手延べそうめん作りがどんどん機械化していることがわかってきました。
とはいえ、今から30年も前ですとまだまだ沢山の作り手が手作業で延ばし、天日干しされるそうめんも各地で見ることができました。

そんな中、初めて「機械による手延べ」そうめん作りを見た時、驚きました。
「これが手延べ?」正直な感想です。

そうめんに限らず機械化や自動化が進むのは当然のこと。
機械化の必要性もメリットも充分に理解、納得していました。
ただ、不安もありました。

それは、本来の手作業による手延べと機械による手延べがきちんと区別されずに販売されていること。

手作業は効率は機械に劣るでしょうが、作り手ごと、銘柄ごとの個性がよりはっきりと現れます。
機械は効率に優れ、高品質なものが安定的に作り出されますが、個性という面では手作業には敵いません。

現在でこそ各製麺所が独自に販売することが増えましたが、元々はそうめん組合に出荷して組合の銘柄として販売されること、卸問屋のような役割を持つ「親方」に取りまとめてもらい販売してもらうことがほとんどでした。

農協に米を出荷される農家の方々と重なります。
組合は作り手ごとのバラツキを抑え、均一化を図りたい。
農家は自分がどんなに優れた米を作っても、出荷時には他の米と混ぜられてしまう。

手で延ばされたそうめんと機械で延ばされたそうめんが一緒になって出荷される?
色々な意味で無理がかかります。



抱いてきた「疑念」とは、ここまで機械化が進んだ手延べそうめんを未だに「手延べ」と呼んでいいのだろうか?ということでした。

かつての日本農林規格(JAS)や品質表示基準、現在の食品表示法の文言と照らし合わせても、手延べとは「...小引き工程又は門干し工程においてめん線を引き延ばす行為を手作業により行ったものをいう。」と明記されています。
そしてほとんどの消費者は「手延べそうめん」は「手作業で」作られていると思っているはずです。
手打ちそばや手打ちうどんを想像してみてください。消費者がそうめんを同様に考えるのは極めて自然です。

今までにお話をお聞きしたり、見学をさせていただいた多くの生産者さん達は、本当に誠実にそうめん作りを行い、そして素晴らしいそうめんを生み出されています。
そしてその多くは小引きや門干し工程を含む最終工程まで機械化されていました。

製造工程の全てを見せて熱心にご説明いただき、誇りを持ってそうめん作りをされている方々を目の前にして、なかなかストレートに聞くことができず、躊躇もしながら「機械による手延べそうめん」、「手延べの定義」について伺ってきました。

答えは様々でした。「手でやっていたことと同じことを機械でやっているから手延べである」「人手不足の中、どうしても手や時間をかけたいところのために機械を使っている」「熟成を繰り返すところが重要であって延ばす工程は機械でも同じ」「昔は手作業だったが、現在ではこれが手延べ」など。

ほぼ全ての工程が機械であっても、生み出されるそうめんは素晴らしいものがほとんどです。
自分の中での大きな葛藤です。なんとか自分の中で折り合いをつけようと機械化の必要性を自問自答してみたり、法律の文言を自分なりに拡大解釈しようと努めます。

ところが何年経っても、何人もの生産者さんのお話を聞いても、どうしても素直に受け入れることができません。かと言って、多くの生産者の方々に迷惑がかかるかもしれないと異議を唱えることもできませんでした。
そしていつの間にか自分自身でもこの問題に正面から向き合うことを避け、結果「疑念」のまま今に至ることになります。

この30年、そうめんについての取材や出演、本の執筆依頼などがいくつもありました。
昨年までその全てをお断りしてきたのは、この問題が理由でした。
そうめん、特に手延べそうめんについて言及するならどうしてもこの問題は避けられない、という思いでした。

しかし、当店は「そうめん文化を次の世代につなぐお手伝いをしたい」という目標で開店しました。そのためにはこの問題を避けることはできません。
今回、腹を括って向き合うことにしました。

問題は3つの点です。

1。法の遵守の問題。
食品表示法、食品表示基準違反の疑念。
小引き、門干し工程の機械化が全国に広がり、全国で手延べそうめんとして売られているおよそ99%が最終工程まで機械化されているが、拡大解釈または自己解釈のまま、強制法にも関わらず、なし崩し的に法律上、非常に疑念のある状態のまま販売されていること。

2。消費者保護の問題。
ほぼ機械化がなされているにも関わらず、消費者に「手作業による」そうめん作りと誤認させることがあまりに多いこと。ホームページ、パッケージ、パンフレット、実演など。
通常の製造工程では行っていない手作業での製麺作りを、「昔のやり方」などの説明もなく「手延べそうめんの製法」として説明するなど、酷い場合には「このように作っています」と言い切っているところもある。景品表示法の「優良誤認」にあたる可能性が非常に高い。

3。本当の手延べそうめんの存続の問題。
「機械による手延べそうめん」が「手作業による手延べそうめん」と誤認されている現状で、わずか1%にも満たないであろう本当の手延べそうめんはどうなってしまうのか。
手作業による正真正銘の手延べそうめんとして差別化が図れているのは、熊本の南関などひと握りどころかひとつまみにもなりません。
マーケティング、営業努力が足らないなどという意見もありますが、本当の手延べそうめんの作り手のほとんどは70代、80代の高齢者です。またそうめんは歴史的に自己での販売より協同組合や親方、専門の卸に納めて販売してもらうということが長く続いた地域がほとんどです。
さらに、生産地域はいわゆる田舎であることが多く、先述のように組合があります。差別化を図ろうにも自らの「手作業」をアピールするとは即ち同地域の他の生産者が「機械」であることをアピールするようなもので、そんなことが田舎で容易にできるはずもありません。
このような状態で自助努力が足りないと言うのは、あまりに酷ではないでしょうか。
結果、機械化された大規模な生産者に資金、広告、営業、販売、全てに負けていくことになり、自らも機械化して同じ土俵に立つか、自身の代で廃業を決意することになります。

そうめんは日本の麺の中で最も長い歴史を持ちます。
そのそうめんが消費者に見向きもされなくなり、需要がなくなり滅んでいくのであれば仕方のないことだと思います。
実際には「当たり前に存在し続ける」と誤解されたまま消滅しかかっています。
全てが手延べそうめんである必要はありません。
機械そうめんや機械による手延べそうめんがなければ、私達は気軽にそうめんを食べることはできません。
ただ、個性あふれる本当の手延べそうめんも次の世代に繋がってほしい。
作り手の人々ももっともっと正当に評価されてほしい。
そしてその手間と質に見合った適正な価格で販売され、誇りを持って後継者が次世代に繋いでくれることを切に願っています。